安保法案問題は憲法違反かどうかが一番の争点なのはおかしい
今更ですが、これは避けては通れないと思ったので書きます。安保法案。
戦争法案とかいう人もいますね。
この問題に関して、個人的に根本的に一番おかしいと思うことがあります。
安保法案に反対する人が一番に言う「憲法違反だ!!」という言葉。
私はこれに非常に違和感があるのです。
なぜなら、憲法違反であることは大した問題ではないからです。
仮に憲法違反であったとしても、国民を守るために必要な法案であれば、憲法を変えようという議論になるのではないでしょうか。
もしくは、少なくとも憲法に反しない範囲でどういう法案にしようかという議論になるはずだと思うのです。
「法案の根本的な部分が憲法違反なのだから議論の余地はない」そういう答えもあるでしょう。
しかし、ここで大事なことはそういうことではありません。
法案が提出されたということは、現状になにかしら問題が起きているということです。
ではその法案をまっこうから否定するのであれば、その問題にどう対応するのでしょか。ほったらかしでよいのでしょうか。
そんなはずはありません。
なんらかの別の方法でその問題に対しては解決をしないといけないわけです。
そういう議論もせず、「憲法違反だから議論に値しない!」と頭ごなしの否定をするのはおかしな話です。
だからこそ、「憲法違反かどうかはどうでもいい」のです。
「憲法軽視だ」と怒られるかもしれませんが、そういう意味ではないのです。
憲法は一種のルールですが、そのルールは何のためにあるのかということを今一度考えてみませんか。
憲法が何のためにあるか。
憲法を変えないという美徳を守るために存在しているのでしょうか?
それは違います。
国民を守るために存在するのが憲法です。
だからルールが現状に即していなければ、それは改正されてしかるべきですし、これは法律も憲法も同じことです。
そのために改正する際のルールが決まっているのです。
つまり、国会において”まず”議論されるべきは「憲法に違反してるかどうか」や「解釈改憲がいいことか」ということではなく、「この法案が必要かどうか」「どのような内容にするのか」なのではないかということです。
中国の脅威や中東情勢の悪化、テロとの戦い、アメリカの影響力の減少など、日本を取り巻く状況が大きく変わっていることは明白です。
そうなれば自国防衛の体制を見直す必要があることは自明の理でしょう。
ではどう体制を変えていくのか。
そういった議論をする前に、大昔の憲法を思考停止で守り続け変化を拒むことのなんと愚かなことか。
つまり、現状の危機と未来の危機に対してどのように対処するのがよいのかといった議論を避けるのは完全に間違っているということです。
つまるところ、憲法違反を第一の問題としてとりあげる多くの反対論者に私は幻滅しています。
これは賛成反対関係なく、すべての人が大前提としてもつべき常識ではないでしょうか。
どうか少しでもまともな思考回路を持った人間がこの世に増えることを祈ってやまないです。