物事には賛成と反対の二つしかないのか
例えば原発についての話になれば、すぐにこう言ってくる人がいる
「原発再稼働賛成?反対?」
すぐにそういう話になってくる。
テレビ新聞だけでなくネットも同じ。
安保法案にしたってそう。増税にしたってそう。憲法にしたってそう。秘密保護法にしたってそう。
なんでも「あなたは賛成?反対?」
こういうインタビューでどちらが多いかの議論ばかり。
でもこれらの問題って賛成反対に綺麗にわかれるもんではないといつも思う。
そういうところをみんな理解していないのではないだろうか。
根本的には賛成であったとしても、全部が全部賛成ではないし、修正しないとダメだと思っているところなんてたくさんある。
例えば私にとっての原発再稼働問題なら、エネルギー問題(石油に頼りすぎる弊害)をどうするかであったりとか、結局のところ停止するにしても危険性があまり変わらない話だとか、テロに狙われたらどうするとか、自然災害にどう対処するのかとか。
そういうのを総合的に考えると、安全性を信頼できるくらい高めたうえでの再稼働を目指して進めてほしいなぁという風になるわけで。
これは形としては賛成派になってしまうわけですが、「安全なんやから再稼働すればええんや!はよせい!」という意見とは大きく違うと思う。
そういったことを考慮せずに賛成反対の極論しか戦わせないから「議論」は成り立たないのではないだろうか。
確かにその事柄に詳しくない人からすれば、賛成か反対かの二択にすればいいだけだし、細かい点まで知らなくても自分の意見を同じように言えるという点ではいいのかもしれない。
しかし、少しでもダメなところがあれば反対だ撤回だ。
そういう議論では中身のあるものは生まれないだろうし、レッテル張りの言葉の問題や印象操作で賛成反対は大きく変わるだろう。
でも、根本的に大事なのは、その起きている問題に対してどう取り組むのかということではないだろうか。
ダメなところがあるなら、どう修正すればよいのかという意見まで出すとか、総合的に判断してどちらがどの程度のメリットデメリットなのかとか、別のやり方を出すとか。
そういったことをじっくり煮詰めるためにも、賛成反対というレベルの低い議論ではなく、もっとその中身についての議論をしてほしいと切に願う。
そしてこれは決して国会の中だけではなく、国民一人ひとりが意識すべきことであると思う。