憲法改正をしてこなかったこれまでが悪い
憲法改正が参議院選の争点になるみたいなのでそのことについて書いておこうと思う。
まず私の意見だが、憲法改正に賛成か反対かでいうと賛成ということになる。
というのも、今のままの憲法でこの先の未来を突き進むのは無理があるからだ。
いや、私は何も、戦争できるように憲法を改正しろと言っているのではない。
「憲法解釈」という言葉をもう使わないようにしてはどうか?
このように考えている。
これは同僚(護憲派)と憲法について話していた時に気づいたのだが、
護憲派と改憲派ではそもそも前提としている現状認識が大きく異なるのである。
たとえば「陸海空軍その他の戦力を保持しない」と、このように書いている憲法下でいったいなぜ「自衛隊」を持つことが許されるのか。
これは憲法に書いてある「戦力」が他国を攻撃するためのものだから自国を守るためにしか動けない自衛隊はゆるされるという解釈らしい。
そんな屁理屈が通るのが「憲法解釈」なのである。
そしてこれが諸悪の根源だと思っている。
この「憲法解釈」は文字通り解釈なので読む人によって違うのだ。
つまり解釈がこれだけ幅広く許されている憲法はもはや、読む人の数だけその人に都合のよいように読むことが可能である魔法の憲法なのである。
これがそもそもの間違いである。
なぜならば、人と人が特定の問題について議論するときに前提となるルールが人によって違えば、そんなもの議論にならないのは当たり前である。
何十年と、日本はこの状態がずっと続いてきたのだ。
そりゃぁ右翼と左翼で話が合うはずがない。
じゃあどうすればよいか。
そんなもの「細かいところまで全部書けばいい」じゃないか?
例えば、「陸海空軍その他の戦力は保持しない」の部分は、「他国を攻撃するための陸海空軍その他の戦力は保持しないが、自国を防衛するための自衛隊のみこれを許すものとする。自衛隊においては他国の領土で戦闘行為を行うことは許可されない」くらいに事細かく書いたものに変えればよいのだ(この文章が最善だと言っているわけではない)。
そうすれば解釈でもめることもなく、もう少しちゃんとした議論ができるのではないだろうか。
細かく書く代わりに、細かい改正や修正は常に議論されるようにすればどのように解釈するかで揉めることもないだろう。
まともな議論をする上に置いて正しい現状把握は必須だ。
それは自分の現状認識が正しいかだけでなく、議論の相手が現状をどう見ているのか、そこを理解することが必要不可欠なのである。
現在の憲法のような、解釈でどうとでもなるようなものではなく、きちんとした憲法の下で様々なことが議論されることを祈る。
そのためには現在の憲法と現状の矛盾をしっかりと見つめなおし、改正すべきところは改正するような認識が必須である。
憲法改正は悪ではない。
現状に不適なもの、時代にそぐわないもの、そういったものは積極的に修正すべきなのだ。
憲法は我々を縛るものではなく、我々一人ひとりを守るために存在するのだから。